日本の漫画とアメコミ(アメリカン・コミックス)は、それぞれ独自の文化と歴史を持っているため作品の内容から制作過程まで大きく違う。「漫画」に慣れている日本人にとってアメコミの制作スタイルは馴染みのないものであり、どんな視点で読んで良いのか分からなくなるかもしれない。
そこでどんなところが違うのか簡単にまとめてみたので、文化の違いを理解して少しでもアメコミへの間口が広がれば良いと思う。
制作スタイルの違い
漫画とアメコミでは、絵のタッチが違う(アメコミは劇画タッチの印象が強いかもしれない)こともあるが、そもそも制作される環境から全くの別物である。
まず一番の違いは、日本では基本的に作品は漫画を描いた作者の物だがアメコミは違う。
なんとアメコミでは出版社が作品の権利を持つ事が多く、一つの作品を複数の作家が手掛ける。更に1冊のコミックのストーリーの中でも、途中で作者が変わることもあり突然絵柄やタッチが変わり戸惑うことも多いだろう。
日本で言うところのオムニバス形式の同人誌に近いかもしれない。しかし、大枠のストーリーは繋がっている。日本の漫画で育った人間にとっては何とも不思議な作り方だと思うだろう。
日本の漫画
作者一人、または少数のアシスタントで制作されることが多い。
ストーリー、キャラクター、世界観を作者が独自に創造する。
アメコミ
脚本家、作画家、彩色家など、複数の専門家による分業制が一般的。
出版社がキャラクターや世界観の権利を持つことが多く、複数の作家が同じキャラクターを描く。
このような違いが生まれた理由には、そもそもの歴史的な生い立ちが大きく影響していると思われる。
そこで、それぞれの成り立ちを紹介しよう。
漫画とアメコミそれぞれの成り立ち
漫画とアメコミの違いには、歴史的な成り立ちが大きく関わっている。
日本の漫画は、戦後の文化復興期に始まったこともあり、作家の創造性と個性が重視される文学的な流れを辿った。ある意味アーティスト的な扱いを受けてきたとも言える。そのため、当然作品は一人の作家が構成からストーリー、作画まで全て手掛けることになる。もちろん背景や仕上げなどアシスタントが手伝うこともあるが、重要な骨子は作者が作り権利も作者のものだ。
もともと浮世絵など、漫画チックな文化が存在していたことも漫画家=アーティストとして定着しやすくしている要因なんじゃないかと思うが、これは私の勝手な想像だ。
もちろん漫画も時代進むにつれ藤子不二雄の描く『オバケのQ太郎』のように、共同で作品を制作することもあり、必ずしも作家一人で作るというわけではなくなってきている。商業化が進むにつれその辺のこだわりは薄くなってきているのかもしれない。
有名なところでは「DEATH NOTE」など原作を大場つぐみ、作画を小畑健が担当し大ヒットを記録している。
このように、徐々に漫画も欧米化が進んでいるようにも思えるが、1冊の漫画の中で作者と絵柄が大きく変わってしまうほどの跳躍はしていない模様。
一方アメコミの成り立ちはというと、1930年代のキャラクタービジネスの発展とともに、出版社主導の分業制が確立された。
キャラクターや設定が先にあり、そこにストーリーを後付けしたものがコミックスだ。
つまり出版社とキャラクターが先にあり、その後に作家がつく。更に言うとコミックスの中でも分業化され、脚本家、作画家、彩色家でそれぞれ分担されることも割と一般的だ。
ほぼほぼ企業である。
そこまで分業化効率化の波が押し寄せている理由も明白で、あくまでもビジネスがスタートラインであるためだ。
このビジネスという言葉を聞くと、日本人はなんだか物悲しい想いに身を包んでしまうかもしれないが、もちろんそこにはメリットもある。このような背景事情から生まれたふたつの文化それぞれの特徴と良さを伝えたいと思う。
続く。



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