バットマンとジョーカーの関係性

batman_joker BATMANについて色々

バットマンとジョーカーの関係性は、単なるヒーローと悪役という枠を超え、複雑で多層的なものになっている。
お互いに傷つけながらも必要とし合い、終わらせるための戦いを終わらせたくない矛盾した想い。
この関係性については、作品ごとにも違いがあり、更に読者の中でも様々な解釈が生まれる。
人それぞれだから正解が無いといえばそれまでだが、自分なりの解釈を見つけるのもBATMANの楽しみ方の一つだろう。
そこで、二人の関係性を色々な視点から比較しつつ見ていきたいと思う。

映画やメディアでの役柄

バットマンとジョーカーの役柄は露出するメディアによっても若干のニュアンスの違いが感じられる。
それが特に顕著に現れるのが映画での表現だ。

これには明確に理由があると思っている。
それは、この二人の関係性は一般向けに公開にするにはあまりにも刺激が強すぎる。あまりにもだ。
興行収入という太い鎖に繋がれた映画での表現では、作品と商売を両立させるため従来のファンだけではなく、バットマンのことをあまり知らない新規ユーザーの取り込みも必須課題となっている。

そのため、一般層にも共感できる範囲の設定を考える必要があり、必然的にバットマンの狂気にも似た暗部は控えめに表現しなくてはいけない。
かといってあまりにも大衆化したプロットを作ってしまうと、古参のファンたちからの不満が漏れ出てくることだろう。だからBATMANは難しい。

そんな中、映画界に深い爪痕を残した『映画ダークナイト』は、本当によく考えて作られた傑作だと言える。
BATMANはヒーローであるという受取りやすい前提の中、ダークヒーローという必要悪を請け負ったという立ち位置は、バットマンの暗部をギリギリのラインで表現することに成功している。
見事と言わざるを得ない。

そしてコミック版のバットマンを知っているバッツィファンも、口当たりの良い正義のヒーローとして描かれなかったことに安堵の笑みを浮かべているだろう。

バットマンとはそれほどまでに扱いの難しい面倒くさくも気難しい、とんでもない我儘コウモリだと言わざるを得ない。ジャスティス・リーグでバットマン役を演じたベン・アフレックが愚痴るのも理解できることだ。

その一方で、ジョーカーはというと、バットマンに執着する狂人という意味では、コミックと映画の両面でキレイに着地できている。もちろんコミックスでは映画では表現できないようなエグみのある狂気からファンシーなものまで幅広く取り揃えている。

映画では俳優にも恵まれ、ジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー、ホアキン・フェニックスとそれぞれの個性と魅力に満ちたジョーカーが生まれる結果となった。ジャレッド・レトだけは・・・。

そういった意味では、裏表のないジョーカーが純粋で可愛い素直ピエロだと思えても仕方のないことだろう。

このように映画でのBATMANはもちろん素晴らしい作品ばかりだが、バットマンとジョーカーという深い歴史のなかのひとつの解釈であり、コミックスというまた別の解釈が存在していることも忘れてはならない。
そして、この2つの解釈を行き来することで過去に見た表現がまた別の解釈で見ることができ、双方の解釈が実は一つの解釈だったという第三の解釈が浮かび上がる。解釈がゲシュタルト崩壊しかけるほどに解釈な作品。それがBATMANだ。

コミックスでの表現

上記で映画でのバットマンとジョーカーの役柄について述べたが、次はコミックスでの表現に着目してみよう。もちろんアメコミという特性上、様々な描き方が展開されているが、映画との違いがより顕著にあらわれている部分を考察していきたいと思う。

正義の味方「バットマン」

BATMANに登場するスーパーヴィラン達。ヴィラン達にも感情があり、それぞれの事情や想いを持っている。
不治の病に侵された妻を救うために研究している者や、自然環境保護を目的として犯罪行為を行う者など様々だ。

その目的自体は決して悪いことではないはずなのだが、それを果たすための行動が結果的に社会へ大きな被害を与えることから、ヴィランという肩書を与えられている。
そう、彼らはやり過ぎてしまったのだ…。

では、バットマンの目的とはなんだろうか?
そこを紐解くには彼の複雑な過去と、ゴッサム・シティの闇を覗く必要がある。

バットマンことブルース・ウェインは、幼い頃に両親を犯罪者に殺害されるという、深いトラウマを経験している。
この出来事が、彼の人生を大きく変え、犯罪と戦うという強い動機になったことは間違い無いだろう。
そして、父トーマスウェインとその妻のマーサ・ウェインがゴッサム・シティの発展に貢献し街を支えてきたことから、ブルースは父母が作り上げてきた街を守ることを己の使命として刻み込む事になったのだ。

このことからバットマンは父母の意思を継ぎ、非常に強い正義感をもったヒーローだということが分かるはずだ。
正義の味方バットマンと言っても過言ではないだろう。かっこいいぜバットマン!

加減ってものがあるだろ?「バットマン」

ここまでは、悲しい過去を背負った正義のヒーローという感じでとても良い流れを掴んでる。

――だが問題はここからだ。

バットマンが悪を憎んで街を守りたい気持ちは本物だ。そして、同時にバットマンとして街を守っている行為そのものが、自身の闇と闘い正気を保つための手段にもなっているという。

――雲行きが怪しくなってきた。

つまり、街を守りながら彼が正気を保つには犯罪者達と戦い続ける必要がある。しかし、全ての悪を滅ぼしてしまうと、必然的にバットマンとしての活動の場がなくなり自身の存在を保てなくなるかもしれない。そこに対する恐怖と己の正義との間にある矛盾を埋めるために、自らを欺き続けなくてはいけない。その歪さが彼の行動をより極端で盲目的なものへと変貌させていくのだ。

その最たる例が、「絶対に殺さない」という縛り。

人の命は奪ってはいけない。それはとても正しい信念と言える。
しかしその信念がより多くのひとの命を奪う結果となることもあるという。
これは、バットマンの問題でもあり、人類にとっても答えの出ない普遍的なテーマなのかもしれない。

バットマンはゴッサムの街を守るため、多くのヴィランと戦うが命を奪うことはない。ボコボコのグチャグチャに殴るが殺しはしないのだ。警察ではないがきっちり逮捕し(この場合私人逮捕になるのだろうか?)そのままヴィランはアーカム・アサイラムという精神病院へと送られる。

ただ、このアーカムが非常に良くない。何が良くないかと言うと、ザル過ぎる。いったい何度脱獄させれば気が済むのかというくらい警備が激甘だ。ジョーカーに至っては逃がすために入れてるのでは?と疑ってしまいたくなるほどだ。
そもそもゴッサム自体が腐敗に満ちた街ということもあるが、中でもアーカムは特に酷い部類に入るだろう。

このバットマンとアーカムのコンボにより、病院内にスーパーヴィランがどんどん溜まっていく。そして時折、外にいるヴィランの企みでアーカムのヴィラン達が一斉に開放されゴッサムに甚大な被害をもたらすことになる。
このフィーバータイムに巻き込まれるのはもちろん何の罪も無い善良な市民だ。大勢死ぬ!

それだけではない。バットマンは超人ではないが、豊富な資金力と最先端の科学力で様々な装備や高機能な乗物を使いヴィランと戦う。そしてヴィランはそれに対抗するためにより凶悪に過激に進化していく。
この両者が競い合うことで戦いのインフレが起きているのだ。

ここで問題は、バットマンがその装備や技術力を独占し自分の為だけに使っていることだ。
これによって警察が機能することができず、かといってバットマン一人で全ての被害を止めることもできず、また大勢の犠牲者を生むことになる。

何だろう。このバットマンが頑張れば頑張るほど被害者が増え続ける地獄のループ構造は…。
バットマンの信念や目指していることは決して悪では無いはずだ。ただゴッサムの街を守りたいだけのはず。


ここで冒頭の話に戻って考えてほしい。
ヴィランの定義とは、

その目的自体は決して悪いことではないはずなのだが、それを果たすための行動が結果的に社会へ大きな被害を与えることから、ヴィランという肩書を与えられている。

ということだ。
つまりこの定義に当てはめると

バットマンもヴィラン・・・・ということにならないだろうか。

正義を貫きたい熱い想いはある。しかし、結果が付いてきていない。
何でも全力で取り組むことは良いことだが、正しい結果にたどり着くためには時には程よいバランス感覚と柔軟性も絶対に必要なはずだ。
だからこそバットマンには言うべきなのだ。

加減ってものがあるだろ?「バットマン」と。

#2に続く。

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